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オトムスビ様とのコラボ演奏に出演します
日時:2020年1月25日(土)午後
会場:川越市
概要:お世話になっているピアニスト吉田太郎さんが代表を務めるオトムスビ様とのコラボが実現します!詳細はオトムスビ様の情報リリースをお待ちください☆

練習日程を表示 ※12月まで確定
11/3(日)常盤公民館(JR京浜東北線北浦和駅)18~21時

11/9(土)高階公民館(東武東上線新河岸駅)14~17時

11/10(日)午後 本番 川越市合唱祭(ウェスタ川越)

11/24(日)田島公民館(JR武蔵野線西浦和駅)14~17時 総会予定

11/30(土)高階公民館(東武東上線新河岸駅)14~17時

12/7(土)川越南公民館(JR線・東上線川越駅)18~21時

12/15(日)田島公民館(JR武蔵野線西浦和駅)18~21時

12/22(日)忘年会イベント「ゆふさんといっしょ」 18~21時(池袋)

※見学・飛び入り随時受け付けております!練習会場の地図は下記をご覧ください。→ ◆川越市 ◆さいたま市 ◆狭山市
※太字は通常とは違う練習時間です。

 

メンバー大募集中です!

名前のない合唱団のホームページにアクセスいただきありがとうございます。「ななし」では一緒に活動するメンバーを大募集中です!
新しく合唱団をお探しのあなた、大勢で歌ってみたいというあなた、とにかく歌が好きというあなた、経験者も未経験者も。大人も子供も。お兄さんもお姉さんも。お姉さんも。ねえ、おねえさん!?

……失礼、取り乱しました。
現在、「ななし」は10~70代までの幅広い年齢層で、経験者も未経験者も入り交じりワイワイ楽しくやっております。私たちと一緒に歌ってみませんか?
ProfileJoin Usに更に詳しい情報がございます。ぜひご覧いただき、まずは一度ご見学にいらしてください。
ななし一同、心よりお待ちしております!

指揮者コラム第7回「身の丈」

『俺のポケットには大きすぎらぁ。』 ルパン三世

時事ネタに走るわけではありませんが、今、世の中、特に私の住んでいる教育の世界で、「身の丈」という言葉が走り回っています。あまりよろしくない意味で。

ただ、ここで、英語民間試験の延期の話をしだすと、いつまでたっても音楽の話にならなくなってしまうので、それはまた、飲み会ででも。

私は、「身の丈」という言葉に、悪い印象がありません。それは、父がよく使う言葉だからです。父は私が若い頃よく、「謙虚になれ」と言っておりました。そして、自分が与えられたステージを一つ一つこなし、フルートともに少しずつ、今でも、「自分の身の丈に合った音楽ができればそれでいい」と言い続け、確実に芸術家の階段を上り続けている人です。

僕の超えられない壁として今も存在し続け、その背中を追い続けていたおかげで、私もこんなに謙虚な天才指揮者になることができました。

「身の丈」とは“自分が現状でもっている力”だと思っています。これを正確に把握するためには、高い自己分析力が必要です。「身の丈」であまりにも届かない課題を自らに課したところで、モチベーションは上がりません。反対に、「身の丈」にあまりにも満たない課題を繰り返しやっていても、自己の成長はのぞめないのです。

すなわち、理想的なのは、「身の丈」より少し上の課題を自らに与え続け、それを乗り越えることで少しずつ「身の丈」を伸ばしていくことなのだと思います。

我々、名前のない合唱団も、長い年月をかけて、少しずつ「身の丈」を伸ばしてきました。そんな合唱団の「身の丈」を正確に理解し、育て続けることができる常任指揮者でありたいです。

平田 由布

※当団常任指揮者、平田由布による不定期連載コラムの第7回をお送りしました。
過去記事は、こちらからご覧になれます。↓

11/30 行きはよいよい・・・

(今日は新曲の練習楽しみだな!)
そんな気持ちを抱いて一日が始まり、蒼天の下で車を走らせ練習会場へ向かっていると、TSUTAYAの前で救急車が止まっていました。何があったか分かりませんが、その手前で渋滞が発生しており、発声練習が終わる頃の到着となってしまいました。
でも新曲の練習に間に合ったから良しとしましょう。

今回は童歌『通りゃんせ』の練習。
この曲は団員Kさんによる編曲なのですが、なんと練習前日の夜中から取り掛かって完成させてしまったと聞き、団員一堂驚きでした!
音取りを終えた後もこの曲の練習に時間を割き、ひとまず当日参加していていたメンバーであれば人前で演奏できるくらいのレベルまで仕上げました。
これだけ急ピッチで編曲・練習したのには何か訳がありそうですね…もしかすると近々どこかで演奏するのかもしれません。
それはまたのお楽しみとして、今回は一回の練習でも集中して合わせれば案外仕上がるものだということを学びました。

時に、皆様はこの『通りゃんせ』を子供の時に聞きましたか?その時、どう感じましたか?
筆者はまだ小さかった時に祖母の友人が琴でこの曲を演奏しているのをよく聞いていました。二本の手を広く構えて弦を弾く姿を見ながら、琴の心地よい音色に聞きいっていたと思います。
ところが、歌詞が発覚するや否や再三聞き入っていたはずのこの曲に対してどことない恐怖感が芽生えました。
“行きはよいよい 帰りはこわい”という歌詞のせいですかね。
この“こわい”という言葉の解釈としては「疲れる」「恐ろしい」「困難である」という三つの説があるようですが、要するに意味もよく分からず聞いている子供にとって、マイナー調な曲は言葉ひとつだけで不安感を煽られることになるんですね。音楽とはそういう不思議なものです。(諸説ある解釈について気になった方は調べてみて下さい)

そんな思い出話はさておき、実は『通りゃんせ』の発祥の地は川越であるという説が現在一番有力なようで、名前のない合唱団が演奏するのに相応しい曲ではないかと勝手ながら思っております。
筆者は童歌というものを合唱ではあまり歌ってきませんでした。
最初は淳朴な詩に見えても、二度目には疑問が浮かぶ奥深さがあります。
事実、作詩者は不明で諸説解釈がある、そんな簡単そうで簡単でない詩に対して自分たちで共通の解釈をもち、どのように仕上げていくのか考えることもまた、四部合唱をする上での面白さであり、登龍門と言えるのでないでしょうか。

最後に余談ですが、練習の中で“とおしてくだしゃんせ”や“とおしゃせぬ”という言葉の最初の“T”の発音を大事にするという指摘がありました。子音の扱いについて指摘されること自体は合唱あるあるだと思います。しかしこの日はそれに留まらず、筆者が家に帰る途中で見かけた例のTSUTAYAのネオンの“T”の文字が見事に両方消え“SUAYA”になっており、改めて“T”の大切さを目の当たりにしたのでした(笑)

今週のブログ当番は、バスのS・Fさんにお願いしました。

先週のブログで、総会まで開いた上に、「ふるさとの四季」の練習って言っていたのに、なぜに「通りゃんせ」なのか? 
その答えは、ひ・み・つ♪
続報をお待ちください。

次回練習は
12/7(土)川越南公民館(JR線・東上線川越駅)18~21時
団長がお休みなので、あまり専門的な練習はできませんが、音はしっかり取っていきたいと思います。

当団への連絡は、Join Usより受け付けております。
入団・見学などのご相談など、お気軽にどうぞ

※当団常任指揮者、平田由布による不定期連載コラムページは第6回までと、特別編2本が公開されています。

11/24 下期総会を行いました

前日から降り続いた雨がお昼前に上がったと思ったら、気温が急上昇して、今度はコート着てたら暑いぐらい。
そんな日の午後、さいたま市田島公民館で、今後の活動を考える総会が執り行われました。

小江戸第九などの練習が重なったのと、風邪で体調不良の連絡もあり、参加者は少なめでしたが、その中で、来年の11月1日日決まっている川越市合唱祭までのオンステ予定が採択されました。

ざっくりとご報告しますと、
1/25(土)オトムスビ新春コンサート
6月 埼玉県合唱祭
8/23(日)E-joyコンサート(予定)
10月 コスモスコンサート
11/1(日)川越市合唱祭
という感じです。
これらのステージを目標に、これからしっかり練習予定を立てていくつもりです。

そこで、まずは1/25(日)のお話し。
時折伴奏でお世話になっているピアニストの吉田太郎さんが代表を務める「オトムスビ」というクラシック音楽を広める活動をしている団体がございまして、そちらが主催する新春コンサートに演奏者としてお招きいただきました。
演奏する楽曲は、源田俊一郎編曲の唱歌メドレー「ふるさとの四季」
「オトムスビ」メンバーの新福美咲さん(ソプラノ)、島田樹里さん(メゾソプラノ)のソロを組み込んで、という形の演奏となる予定です。

年末年始を挟み、練習回数もあまり取れないのですが、9月の訪問演奏でも歌った曲ですので、大丈夫でしょう(きっと・・・たぶん・・・)
本番の時間や場所などは、オトムスビ様からの連絡がありましたら、こちらでもお知らせしますね。

さてさて、次週は久しぶりに練習をします。
11/30(土)高階公民館(東武東上線新河岸駅)14~17時
「ふるさとの四季」の音取り確認です。

合唱祭後に、見学のオファーを複数いただいている様で、嬉しい限りです。
正団員・スポット参加・練習のみ参加など、随時募集しております。
まずは、Join Usよりご連絡をしてみてくださいね♪

※当団常任指揮者、平田由布による不定期連載コラムページは第6回までと、特別編2本が公開されています。

指揮者コラム第6回「表現者としての義務と権利」

『芸術は、命令することが出来ぬ。芸術は、権力を得ると同時に死滅する。』太宰治

学校教員をやっていると、「話をする」機会が多いです。日々、子供たちに話をすることから始まり、学年の先生たちが集まって打ち合わせをしたり、保護者に電話をして連絡をしたり…。この「話をする」ということも、表現の一つだと思っています。

しかし、世の中を見ていると、どうも私とはタイプの違う、「話をする」人を見かけることがあります。私にとっては、例えばそれは、とある専門家の講義であったり、とある政治家の政見放送であったり、とある学校の先生のおもしろくない授g(自主規制)が該当します。これらに共通することは何かというと、本人は一生懸命話をしているつもりでも、聴き手に全然伝わっていないということです。さらに、人前に立っているというのに、聴き手を意識せずに、独り言のようにしゃべっている方さえいます。このような方々にとっては、“「話をする」ことで何が伝わるか”が重要なのではなく、「話をする」こと自体が重要なのでしょう。私は、ひねくれ者なので、こういう方々の話を聴いていると、どうも不愉快になってしまいます。「なんだよ。頭のいいやつが上から物を言ってらぁ。」と、受信アンテナをポキリと折ってしまい、その後の話が入ってこなくなってしまうのです。

さて、本題の音楽です。私は、外国語の曲を積極的に取り扱いません。その理由はなぜかというと、外国語の曲は、日本人に聴いてもらう場合、どうしても外国語の知識を強いることになります。演奏会であれば、パンフレットに歌詞と和訳を入れて対応することはできますが、そうすると聴き手は、いくばくかの集中をパンフレットに割くことになってしまいます。外国語曲の中にも、歌詞を超えてメロディーラインだけでも伝えたくなるという魅力的な曲も確かに存在しますが、それでも自分が感じている感動と同じ感動を伝えられるかどうか、不安になってしまうのです。
したがって、超絶技巧の楽曲、日本語とは言え解釈が難解な楽曲なども、同様の理由から、私は選曲する前にかなり頭を悩ませます。“この曲をかみ砕いて表現することはできるのだろうか”“この曲は果たして聴き手に伝わるのだろうか” …。ここで前向きな結論を出せないのならば、その曲を選曲することはできません。

自己の中で表現が完結してしまわないように。自己の中にある思いを表現する権利を得た表現者は、表現を受け取る者のことも常に考える義務があると、私は考えるのです。

※当団常任指揮者、平田由布による不定期連載コラムの第6回をお送りしました。
過去記事は、こちらからご覧になれます。↓