大トリはいいですね。
どんなに散らかっても自分達で責任がとれるので、大胆な表現ができます。まあ、大トリじゃなかったら散らかさないかって言ったら、結局散らかすんですけども。笑
この日を迎えるにあたって、たくさんの方がそれぞれの立場から合唱団を支えていました。団員の皆さんが、真摯に練習を積み重ねていてくれました。ピアニストの上南さんも、ほとんど打合せができない中で、素晴らしい表現をしてくださいました。譜めくりさんも、肝心なときにいつもかけつけてくださいます。事務局は、僕の日程に合わせて全てのお膳立てをしてくれました。そして何より、遠征のバスが、運転手込みで自前調達できる合唱団とか、尋常じゃありません。その全てが、今回のステージの成功に繋がっていたと思います。
私個人は、やはりブランクを感じておりました。気持ちも体も準備はできていたつもりではいたのですが…。私の中に流れる音楽に、運動神経がついてこなかったように思えます。見づらいタクトの中、この演奏までもってこられたのは、やはり皆さんの練習の成果です。
『刮目せよ!我ら名前のない合唱団』は、宝物ですね。「オリジナル曲があることは強みですね」というコメントの通りだと思います。ラーニングドラゴンという類い稀なる才能を抱えた合唱団だからこそ。
ネタソングをネタにするには、音楽を聴き苦しくさせない技術の下地が要ります。例えば、「言葉を聴衆に伝える」ことは、容易な作業ではありません。それを達成するために、「ネタ歌詞を地味に反復練習する」というのは、実は強靭な精神力を必要とします。それを平然とやってのけるこの合唱団は、やはり刮目すべき合唱団だと私は思っています。
『みやこわすれ』という曲を選ぼうか最後まで二択で迷いましたが、練習中にもお話ししました事情により、『リフレイン』を選びました。笑
“リフレイン”というテーマでありながら、“一度きりの今”を歌うという心地よい矛盾。
“人は、変化のない似通った日常に物足りなさを感じ、時に絶望する生き物だ。”
“しかし人は、その繰り返しの中からも、かけがえのない価値を見出だすことができる生き物でもある。”
感動を内包し、それでいて人間臭くなく。そんな表現を心がけてきましたが、いかがだったでしょうか。
「くりかえし見つめ合い くりかえし好きという」。
このフレーズは、“人の意志”を内包しています。見つめ合い、好きと伝えることができる相手がいる幸せ。その幸せを、日常の「くりかえし」の中に埋没させず、意志をもって「くりかえし」ていくこと。それが、“人として生きる”ということなのかもしれませんね。
技術的な課題としては、「鮮烈なp」と「繊細なf」を挙げておきます。
ちなみに、誤植ではありません。笑
ppになっても衰えず言葉を伝えられること。
ffになっても崩れずハーモニーを構築できること。
それを要求できる段階にきていると感じています。
結びになりますが、本番前日と本番のみという契約で、私を起用してくださり、ありがとうございました。またいっしょにステージに立ったとき、さらによい演奏ができるように、共にがんばりましょう。
とりあえず私は、ちょっと体重落とします。
令和元年6月16日
平田 由布
※当団常任指揮者、平田由布による不定期連載コラムですが、今回は埼玉県合唱祭出演を受けて、番外編をお送りしました。
第1回「“手段”としての音楽」
第2回「人は力」
第3回「合唱人は変人?」
第4回も間もなくお届けできる予定ですので、お楽しみに!!