指揮者コラム 第1回「“手段”としての音楽」

「あなたはなぜ歌うのですか?」

そう問われたらどう答えますか?
「歌があるからです」などと、登山家のように答えたくなります。

自分は、音楽を通じて人と人とがつながることが好きです。
当然、演奏家⇄聴衆のつながりもそうですし、演奏家⇄演奏家のつながりもあるでしょう。
ステージを作るとなると、音楽と違う世界の人と触れることもありますし、楽曲の解釈の中で、詩人や作曲家と語ることもあります。
自分が教員をやっているだけでは出会うことのなかった人に会えたり、通じ合ったりすることができることに魅力を感じ、音楽をやっています。

ですから、同じように人と人とのつながりができるのであれば、媒体が必ずしも音楽である必要はなかったのかもしれません。
たまたま僕は“歌(合唱)→指揮者”という流れに乗らせていただきましたが、最初に出会ったものがカバディであったとしたら、僕は「名前のないカバディ集団」を作っていた可能性も大いにあると思っています。

「最高の音楽を作る」という目的が魅力的であることも感覚的にはわかるのですが、それでも僕は、やはり音楽を「手段」と捉えていて、それ自体を「目的」とはしていないみたいです。
「名前のない合唱団の音楽」を使って、何をするのか。「名前のない合唱団の音楽」から何が生み出されるのか。それが毎回、楽しみでしかたないのです。

(当団常任指揮者、平田由布による不定期連載コラムです。次回もお楽しみに!)